縄田 真美(なわた まみ)
柔道整復師 国家資格者
整骨院・整形外科3店舗7年経験を積み、技術習得し独立。施術のべ人数36000人以上の治療実績を持つ。
現在、特殊な技能(豊田式イネイト活性療法)で脳と神経と体をつなぐスキルにより、痛みの改善・完治に貢献。
プロフィール
生年月日 1980年9月30日
血液型 O型
身長 170cmくらい
体重 53kgくらい
兄弟 兄と妹がいる3人兄弟の真ん中
資格・学び
呉竹鍼灸柔整専門学校卒業
その他学び
3年ほどアメリカのサンディエゴにいました
以前はデスクワークでした
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ここからは、インタビュー形式でお伝えします(^-^)
Q、どんな想いで施術にあたっていますか?
笑顔になってほしい!
が第一です。
元気になって、好きなことやしたいことを楽しんで、その人自身の力を発揮して輝いてほしいです。
みなさん最初は、痛みがあったりつらい状態なのでお顔もつらそうで元気があまりありません。
施術後のお顔がぱっと明るく笑顔になったり、施術を重ねていってどんどん明るくなっていく様子がとてもうれしいです。
特に、終わって楽になると、その方の“お顔がほころんで輝きを増す瞬間”が大好きです!
それから、身体がどんどん楽になって、気持ちも明るくなって、メイクやオシャレもして
「何か変わってきたね!楽しくなってきたね!」といった感じになってきたら、こちらもワクワクをもらえちゃうのがうれしいです。
他には、ご報告として、今まで痛くなるのが心配で行くのを控えていたけど、山に行けました!とか
最近疲れにくくなって前より早起きできるようになった!とか
「どこどこへ行ってきたよ」「こんなことできたよ」「こんなふうになったよ」と聞くと最高にうれしいです。
Q、施術家になったきかっけを教えてください
高校生のとき、バスケットで膝を痛めたこと。
社会人でデスクワークをして、坐骨神経痛でつらかったこと。
この自分自身の経験があったことも含めて、自分自身と家族や大切な人たちを元気にしたいと思ったことが一番のきっかけです。
~~<自分の体験>~~
【バスケ命!】
中学生からの学生時代は、朝から晩までバスケットボールのことばかり。チームのキープレーヤーで、全国大会出場を目指す熱の度合で部活に励む。
【膝を痛めた絶望期】
運動のし過ぎで、高校1年生の夏に膝を痛めた。
痛みをかばってプレーするときの苦しみ。
「痛みが出るかも」というこわさ。
思い切りプレーできないくやしさ。
足を保存するため試合に出られないかなしさ。
また以前のようにプレーできないのでは…と、どん底の気持ちでした。
【希望】
整形外科を含め、いくつかの治療院へ通った。
中々完全によくなる希望が持てる感じではなかったけど(自分自身でのケアもあまりしていなかったため)
それでも、ある治療院へ継続して通い、なんとか良くなってきた!
前よりも膝を気にせずに動けるようになったぞ!
【再度悪化】
しばらくは、少し「また痛みが来るのでは…」というこわい気持ちもありながら、あまり痛みを感じず痛めたときよりはのびのびとプレーをしていた。
しかし、ある日、思いっきりジャンプしたとき、膝に“ピキッ”と来た。痛みに弱い縄田は(本当に痛かった)、「また来た!」とダウンしてしまう。
その後、膝の痛みはずっと気になりバスケットのプレーどころか、日常生活でも膝をかばうようになる。
【諦め】
日常生活でも痛くなった膝。バスケットボールをするときもかばって思い切りプレーできなくて苦しいばかり。
ある病院で筋力検査を行ったときに、膝周りの筋肉が相当弱かったことを覚えている。
そこの先生に「そんなにバスケットがんばらなくていいんじゃない?やめてもいいんじゃないの?」みたいなことを言われた。
当時大学生だった縄田にはそれがショックすぎて「もう駄目なんだ」と真に受けてかなしさでいっぱいだった。結局、学校自体もやめて、バスケットボールをやめた。
【きちんと治療しよう】
その後も時々ランニングなどしていて膝が気になることをやっぱりなんとかしたい「よくしたい!」と思い、いろんな治療院へ。
そこで出会ったある治療院では、マッサージをしたり膝周りを触る今までと違うやり方で施術をしてくれて、考え方もいろいろと教えてもらった。
「これはよくなるかも!」
そんな希望が生まれ、通っていくうちに膝の痛みはよくなった。また思い切り走れるようになったときの喜びは大きかった。
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このような経験から、良くなったと思ったらまた悪化したり、いろんな治療院へ行ったりという経験をあなたにはしてほしくないと思っています。
当院で治療院めぐりは最後にしていただきます。あなたの「良くならない」は「良くなるかも!」から「良くなった!」に変わります。
「できない」を「できる」に変えるよう導いていける存在でいたいと思います。
Q、経歴を教えてもらえますか?
●バスケットボールで膝を痛めたあと
アメリカへ留学して、コンピュータ関連の勉強をしました。
●その後
日本に帰ってきて英語&パソコンを生かす仕事をしていました。
坐骨神経痛に悩まされている中、柔道整復師の資格を取るための専門学校へ行くことを決めました。
●専門学校
学校は3年間(夜間)。
学校の2年目中盤までは、派遣で働きながら午後6時から授業に毎日出るという生活で、2年目中盤以降は整骨院で働きはじめました。
●整骨院 その1
最初の整骨院はマッサージをメインにしていましたが、テーピングやスポーツ関連のセミナーに参加して運動する方の対応もしていました。
3年間勤務の後、整形外科へ。
●整形外科
ここではドクターの下、必要な処置やリハビリなどを学びました。
また、スポーツトレーナーとしてある高校のバスケットボール部のサポートもしていました。
●整骨院 その2
その後整骨院に1年半勤務。
この頃、最初に勤めた整骨院で受けたカッピングを思い出し、カッピングの基礎から臨床まで学べるセミナーに1年間参加。
現在のカッピング施術スタイルの基本を学びました。
このころまで、自分自身の施術は筋肉に対するアプローチだけでした。
治療技術を上げるためには、骨格調整(関節にアプローチ)の必要性を感じて、開業の前に「パーフェクト整体」を学びました。
●開業後
パーフェクト整体は、3年間学び続けました。
その後、気功との出会い。
初めて受けたときの衝撃はすごかったです。
体も心もウキウキするくらい(笑)
迷わず気功の伝授を受けました。
そして現在メインとする治療法(豊田式イネイト活性療法)の獲得をその後しました。
気功のとき以上に、「これはすごい!!」と衝撃と感動がありました。
体に安全で効果が高く、治療の神髄がこの治療法にはあると個人的には思っています。この治療法を知れたことを感謝しています。
今までいろいろなことを学んできましたが、全てが生かせる治療法です。
おひとりおひとりのお話や状態を詳しく伺いあなたの健康をサポートします。
Q、子どもの頃はどんな子でしたか?
外でよく遊ぶ子でした。兄とは野球をしたり、妹とはおにごっこなど。
とにかく外で走り回っていた記憶があります。
Q、今後どんな施術家になっていきたいですか?
この人に会いたい・この人と話したいと思ってもらえるような治療家。
信頼や安心してもらえる&元気やパワーをあげられる人間になりたいです。
Q、最後にラベンダー整骨院にこれから行ってみようかな?と考えている方に向けて一言お願いします。
ラベンダー整骨院では、安心と信頼を大切にしています。
おひとりおひとり丁寧に対応することを心がけています。
よくなる希望を持ってもらって、「心に余裕ができて自分や大切な人たちを大切にできる軽やかな体」で元気に過ごせること。
おひとりおひとりが自分らしい人生を楽しんでいくサポートをさせていただきます。
ぜひ、あなたの困っていることやお悩み、やりたいことやこうなりたいということ、なんでもお気軽にお話してくださいね。
あなたのお力になります。一緒に解決していきましょう。
お電話ありがとうございます、
ラベンダー整骨院でございます。